2024.10.13
10月5日に『日本の未来医療を担う若者へ』がありました。弊社も後援をし、主催の「千葉市地域医療シンポジウム実行委員会」の委員長を務めた縁もあり、第2部の「学生の語り」という医学部・薬学部・看護学部の学生へのインタビューの司会を私が務めました。(「日本の未来医療を担う若者へ」は千葉市長・神谷俊一、千葉大学医学部長・三木隆司、千葉大学病院長・大鳥精司によるシンポジウムや学生へのインタビューで、対象は中高生とその保護者です)
第2部の時に、学生3名に「親のいうことを聞いていましたか?」と尋ねたところ、全員が「・・・」でした。誰も親のいうことを素直に聞いては来なかったんですよね。
子どもと親の違いは当然ながら経験です。20代、30代、40代と過ごしてきた大人は、「もっと10代の時に○○していればよかった」という後悔をもっている人がほとんどじゃないかな。「もっと勉強しておけばよかった」「もっとスポーツしておけばよかった」「もっと字をきれいにしておけばよかった」「もっと友人関係を深めておけばよかった」「本を読んでおけばよかった」などなど、後悔後を絶たず、です。
この反省が子どもへの「指導」につながる。その気持ちはわかる。とってもわかります。愛する自分の子どもに自分と同じような後悔をさせたくない、という気持ちはよくわかります。ただ、子どもの人格と親の人格は全く違うんですよね。子どもには子どもの人生がある。それに、親も含めて他者のアドバイスを素直にきく子どもはいないですよ。失敗を通じて学ぶことが人間には多い。
人間は年をとればとるほど、生きることが難しくなってきます。高校生が小学生を見れば「楽しそうだな」と思うし、大人が高校生を見れば「毎日が楽しそうだな」と思います。人生のゴールが近づくほどに、生きるための課題が増えてきます。そして、それを共有できる人は少なくなってくる。きっとずっと昔から人間はそうだったんじゃないかな。
話を元に戻します。
自分の中高生の時を思い起こしたとき、みなさんは親のいうことを聞いていたでしょうか。きっと聞いていなかったですよね。
でも、親に対しては「ウザったい」という気持ちと、「感謝している」という気持ちがなぜか同居します。愛されていると思うからウザったいと思うし、愛されていると思うから感謝します。そして、「ウザったい」という思いは素直に出せるけど、「感謝している」という思いは表に出しません。そんなものです。
人生は山もあれば谷もある。人生の折り返し地点を越えた私たちはそんな経験を何度もしてきていますよね。それは子どもたちも全く同じです。いいときもあれば、悪いときもあり、成長は一直線ではありません。どんな時にでも、子どもの選択を見守り、頑張ったけど失敗したときにも普通に接することがいちばん子どもを成長させます。その仕事は、私たちにしかできません。
2024.09.19
教育について語るとウソっぽく感じます。教育を語る人はウソっぽい人が多いと感じてしまうので、だから自分も教育のことを語ることにためらいを感じます。教育は、具体的に数字に表れないし、具体的な方法があるわけでもないし。わかり合えない人とは、地球が滅亡するまでわかり合えないし、わかり合える人は1時間でも語っていられるし。だから、教育について語ると徒労感や「サロンの住人感」を感じてしまい、さらに遠ざかります。
千葉市で「千葉市こども・若者基本条例」の案が出され、現在、パブリックコメント募集中です。この条例案を読みましたが、これがすばらしい。これを作成した担当者に心から敬意を表するとともに、たまには自分でも教育論をえらそうに書いてみます。この条例案については明日以降に紹介したいですね。
教育の目的は、子どもが「自分の人生を自分で選び、思ったように生きる」ということにつきます。誰かの奴隷になるのではなく、社会や会社の奴隷になるのではなく、「自分の人生を自分で決める」ということです。
その子どもが自分で決めるためには、様々な知識やトレーニングが必要です。知識は学校の授業でその基本を身につけ、トレーニングは人間関係の中で学びます。車の両輪のようなものです。バランスが必要です。
この知識やトレーニングのためには、周囲の大人(学校であれば先生)がその子どもの居場所を作る必要があります。自分がそこに存在していいのだ、そこにいるとホッと出来る、という居場所がなければ、知識を得ることも出来ないし、人間関係も学べません。居場所を作るためには、人間を知らなければならない。だから様々な人生経験や文学が必要です。
「思ったように生きる」といっても、子どもにとってはモデルが必要です。良い意味でのモデルも必要かもしれないけど、時には「反面モデル」も必要かも。世の中は真水ではなく、多少は濁りも必要です。その社会の健全性は、「真水を求めないが、濃度は大切にする」ことじゃないですかね。建前だけいわれても「それは確かに仰るとおり」で終わってしまいます。濁りは必要だけど、濁りすぎは良くない。そこで、その人の教養が出てくるのでしょうね。許せることは許せる、ダメなものはダメ。我が身に起きることと、社会のルールとを切り分けることも大切だけど、これもなかなか難しいケースがあります。というか、難しいだらけじゃないか。
大人でも、居場所がないと厳しくないですか? 生活でも、仕事でも居場所を感じられなかったり、「いずらさ」を感じたら、私は辛いです。教育は、強者の子どものためだけにあるのではなく、社会的・身体的・環境的弱者の子どもにとっても大切なものです。もっといえば、後者のためにこそ時間とお金が使われなければ、地域や国家の基盤が弱くなりますが、あまり目立つものではありません。
くどくなってしまうので、本日はこの程度で。
2024.07.16
大人の人間関係の中で、管理されて生きていきたいか、自覚を持って行動していきたいかが大きな問題です。
自覚を持って生きていくならば、立場的に他者を管理したとしても隷属させない生き方を選ぶならば、実用だけでなく教養が必要だし、何度も失敗をすることも必要だし、人間関係で傷つくことも必要です。年相応の役割を意識するようになるには、自分のことを見つめるだけでなく、時の流れを俯瞰的に見ていく必要があります。
これは教育業界でも課題となります。
ただ、親として子どもが失敗する姿や、人間関係で傷つく姿を見たいかというと、見たい人はいないでしょう。いつ役に立つか分からない教養よりも、明日に役に立つ実用の方が輝いて見えるでしょう。年相応の役割なんて大きくなれば身につくだろうから、それよりも次の定期考査が気になるでしょう。だから、子どもを管理してでも学力を伸ばして欲しいという親の感情も分かります。ただ、その感情は20年後にどういう結果に出るか。
その一方で、教える側にも責任があります。「生徒の学習管理をしないで、学力を伸ばしたい」という理念で向き合ってきました。学習管理とは、「単語帳を何周やったか」「問題集をどのくらい繰り返したか」ということで、添削や小テストのことではありません。学習管理は「教育工場」のようなもので、そんな管理が「教育」だというのであれば、それは教育学という人間の成長の歴史の否定にもなるんじゃないかな。そんな管理を「売り物」にしているところに教育哲学などありませんよ。
「管理せずに学力を伸ばす」ためには、添削や小テスト、授業の組み立てを考えたりするだけではなく、生徒の名前と顔が一致することを前提とした上で、生徒の変化に気づいたり、いつどんな言葉がけをしたりとか、AIにはできない人間的な付き合いが必要です。「できないこと/分からないことができた」ということは達成感につながるし、その達成感の延長線上に自尊感情も芽生えてくるものです。
「生徒の自覚に任せる」という言葉の裏に、「だからボクちゃんは自分の好きなように授業するから、あとは勝手に勉強してね」という気持ちがあるようであれば、それは「教え手」としては管理しかできない人よりも「下」なのですが、きれいな言葉を使う人も多い、、、かな。
人生は直線ではないし、「成功」が年収や社会的地位とイコールというわけでもないし、必ず誰しも仕事からもこの世からも引退するわけですし。
2024.06.08
今年ももう6月ですね。あと2週間で夏至だと思うと、時間の流れの早いこと、早いこと。Sアカデミーも7月から10年目に突入しますが、これもあっという間でした。学生スタッフのT君(高校3年間通塾→千葉大学、稲毛高校出身)から、「ずいぶんとSアカらしい布陣になりましたね」といわれるほど、安定してきました。雰囲気もいい状態です。
さて、夏期講習(高校生)は次のようになります。
【高校2年生】
【高校1年生】
10年目突入ということで、、、、。
あなたの大切な友だちと一緒に受験勉強をはじめてませんか?
充実した自習室で学べます!
2024.06.01
当塾の数学講師は、東大大学院で数学を研究しています。その彼から、「数学オリンピックを意識した中3~高2の授業ができないだろうか」と提案されました。
この問題に興味を持てる中学3~高校2年生が楽しめるような講座を夏から行います。詳細が決まったら、ブログでお知らせします。
2024.05.23
昨日にアップしたように当塾が拡張するに伴い、小学5・6年生コースを夏期から始めます。これは、中学校で教えている生徒が「このような学力・習慣を小学生の時に身につけていれば、中学校での学習がもっとスムーズだ」という能力の育成がメインです。その学力や習慣は次のふたつです。
ひとつ目には、国語と算数の学びの土台を作ることです。
子どもたちが基本的な文章が読めないことが大きな問題になっています。その大きな理由が「語彙力」「漢字力」の不足です。国語の授業では、語彙と漢字を増やすことを通じて、読解力を高めていきます。算数の授業では、基礎基本を徹底していきます。中学数学が伸びる生徒は、「例題」を見た瞬間に解けるようになるまで例題(基本問題)を繰り返しています。「学校の授業が復習になる」ような先取り学習の進度で、基本を中心に学習を進めます。
ふたつ目は「学習習慣をつける」ことです。自学のためには、「学べる場所」「すぐに質問ができる先生」が必要です。そのため、夏期講習では授業の後に30分間の「自学タイム」を設定し、授業の復習や夏休みの宿題をしていきます。
当塾の学生講師は全員が、当塾で学び、大学に合格しています。全員がチューター業務を行い、「自分たちが中学・高校時代に勉強に集中できたのは当時のチューター(学生スタッフ)のおかげだったということが分かった」と口をそろえ、「今度は自分たちが塾生をサポートする番だ」といっています。能力だけでなく、気持ちも違う講師ですので、私も全員の授業がさらに上手になるように今からトレーニングをしています。
さて、日程と講習料は次の通りです。
【日程】
【受講料】
ご興味のある方は、お気軽にご連絡ください!
2024.05.22
まだ詳細の日程は分かりませんが、当塾が夏休みをめどに拡張します。現在、C教室として少し離れた場所に教室がありますが、このC教室がなくなり、A教室の隣の旧クラックランさんのテナントを借りることになりました。これでつながった3つのテナントを借りることになり、利便性も高くなります。
変更点は次の通りです。
今回の拡張は当塾にとって大きな変化となります。これから、数日間、ブログで今後の発展についてご説明していきます!
当塾の基本は「Sアカデミーで学びたいと思う小学生・中学生・高校生のサポート」です。少人数の集団授業にこだわっているために、基礎から学習が必要な高校3年生には厳しい部分がありましたが、「映像授業」(しかも、私も含めて、当塾の講師が行う授業)を取り入れることで、私自身のライフワークである「基礎から学び、分かることを実感できる」ことがサポートできることになりそうです。
2024.05.10
と、考える高校生が多いでしょう。というか、「英語を通じて異文化理解を!」だとか、「英語を学ぶことで他者理解を」、「国際人としての共通言語」、「自分の世界が拡がる」と、英語教育をご専門とされているじいさまが好きそうな言葉を「ふむふむ、その通り」と思っている高校生はどこに存在しているの? きっと探せばいるのでしょうが、会ったことがないんですよ。
ここが「英語教育」のサロン化の象徴なんでしょうね。
もちろん、英語が好きでたまらない、勉強が好きでたまらない、英語の偏差値70以上を意識していて、そういう生徒が分かってくれればいいよ、という教え手にとってビジネスもあるのでしょうね。学ぶ側は学習塾チェーンで「いちばん上のクラスに入った」というプライドを誇りにしたい気持ちもよく分かる。
ただね、学びの原点は他者との比較ではなく、「分からないことが分かるようになること」という誰しもが自分の中に存在する部分だ。だから教える側は職業的倫理観を持って、教材研究をしっかりとして、そのサポートをしなければいけない。それが仕事なんです。
話はそれたけど、英語なんて受験で使う道具に過ぎない。でも、受験で使うのだから、勉強しよう。そのために、分かるようになろう。就職後に勉強しようと思うかもしれないけど、もしそんなときがあれば、そのときに勉強しましょう。分かるようになれば、そのことに興味を持つかもしれないし、別のことに関心が出てくるかもしれない。でも、そんなことを考えずに、まずは入試のために必要なのだから勉強しましょう。初デートやお見合いの時におしゃれをしますよね、それと同じです。相手に受け入れてもらえる準備をすることは当然の作法です。
人生の過去を振り返った人のアドバイスは、これから進む人にとってピンとこないことは、年長者なら経験あることです。「アドバイスを素直に」といわれても、そんな素直に受け入れることはできないし、逆に何でも素直に聞く若者がいたら逆に不安になる。
「好き」から始まることが多くある。「好き」とは「できる/分かる」の延長線上に存在する。「受験のための手段として英語の勉強をする」から初めて、その先を考える必要などいまはないんですよ。
2024.04.30
語順というのは、5文型とほぼ同じです。5文型がSVから始まるものですが、それだけではなく「どこ」「どのように」「いつ」「理由」が入ります。例を出せば、次のようになります。
Sを「主語」といい、Oを「目的語」といいます。このSやOは100%名詞であり、「どこ」「どのように」「いつ」「理由」を副詞と呼びます。その他、知っておかなければならない文法用語は「自動詞」「他動詞」「補語」「形容詞」くらいかな。Sには「はが」、Oには「をに」がつくと覚えておけばいいでしょう。いいんです。最初はそんな覚え方で十分です。
学習英文法は大きく分けると3つに分かれます。
英文法の横のつながりを見つけにくい人は、自分が勉強している文法項目は、英文のどの要素を学んでいるのかを意識していないんです。もちろん、すっと英語が身につく人は勉強している文法が英文のどの要素のことなのか分かっているのでしょうが、私も含めて普通の人はなかなかそれが分からない。「助動詞は語り手の気持ちや判断」といわれても、can「~できる」must「~しなければならない」のどこが「気持ちや判断」なのか分からないのですよ。
高校英語の基本を学ぶときには、まずは薄い問題集を使い、学習している文法が、語順ではどこの部分なのかを意識しましょう。
ぴったりな問題集はこちらです。
2024.04.29
「英語の基礎」「体系的に英文法を学ぶ」ということばにうんざりしています。もうね、本当に素人が多い。少しアグレッシブな書き方になるけど、「教え方」「正しい英語」という発信側のことだけいっても、教えられる受信側(生徒側)が教えられたことをどのように認知=理解するか、定着させていくか、ということまで考えなければプロじゃない。ネット上におられる優秀な英語の先生の中には、「正しい英語」に強い関心があっても、生徒側に対して「あとは君たちの努力次第」で終わらせている人がいませんか? もちろん、努力次第の部分はあるけど、「どのように努力するか」「その努力が続けられるようどのように声をかけるか」などなどいろんなことを考えてこそ、私はプロだと思っています。
プロの基本とは、縁あって自分が教えることになった生徒への愛情ですよね。人生は偶然の連続で、その偶然の中で教えることになった若者に対して愛情を持つことが基本です。その愛情を持ちつつ、俯瞰的(鳥の目)にその生徒の成長段階を意識して、提供する学習が生徒の人生を勇気づける一助となることを考えていく授業や組織だけが、生徒を伸ばせると私は信じています。だから、私立高校の中には数年で「生まれ変わる」学校がでてくるのです。千葉県内でも、いくつかの私立高校が変わりましたよねぇ。
当塾も開業して10年が経ち、たどり着いたというか、一周回って戻ってきた講師の条件の基本は「生徒の成長を願うという意味での生徒への愛情」です。だから、当塾で学び、大学に合格した学生スタッフがチューターや授業を担当したり、場合によっては授業(中学生)も担当します。大学1年生の新チューターが口をそろえるのは「チューターがこんな仕事をしていたから、自分たちは受験勉強に専念できていたのか」ということです。だから「今度は自分の番」と思い、しっかりと中高生に対応してくれる学生スタッフがいる塾はほとんどないでしょう。
正しいことを授業で伝えて、生徒が正しく理解できるなら、「英文法解説」を一緒に読めばいいですよね。単語を覚えろといって生徒が覚えられるならば、単語帳をシス単やターゲット、鉄壁を渡しておけばいいですよね。それで十分に理解できる人もいるかもしれませんが、私も含めて普通の人には無理ですよ。もっといえば、英語教育にそこまで熱くなれる人の方が少数派であり、その熱い人が、「大学に入るための手段としての英語」と考えている生徒の気持ちを勇気づけることは、よほどの大人でもない限り無理だろうし、大人はSNSで戦士にはならないだろうし(笑)
集団授業の欠点は、「途中から入りにくい」ということです。夏から入ろうと思っても、講習はイベント的でいいかもしれませんが、実際の授業に入るとそれまでの授業が分からないので、ついていけないということが少なくありません。これを解決しようとして、当塾では拙著「やさしくわかりやすい英文法」を使い、基礎レベル(5段階の1)のビデオをGWには完成できそうです。ちなみに、このビデオの編集やサムネ作りも全て学生スタッフが行ってくれます。全ての教科は無理ですが、英語と日本史、古文、現代文は途中からでも対応できることになりそうです。
英語の基礎は語順ですね、こちらも一周回って同じ場所にたどり着きました。学んだ英文法を、この語順に落とし込むことが英語の基礎だと私は思っています。